製品販売からソリューション提供に
ウエイトをかけ利益率アップはかる
アライドテレシスホールディングス<6835>(東2)が、今年2月17日以来の50円台に乗せてきた。同社グループは、IPネットワークとそのテクノロジーに関する開発と販売を中心に手がける。世界21カ国で、43社のグループ企業を持ち、グループ従業員2308名で展開する「グローバル企業」。住宅、学校、サービス・プロバイダー、企業、医療、教育機関、政府まで広く提供され販売先は100万社以上に及ぶ。08年12月期の売上高は480億6500万円と世界景気下降の影響で10.8%減少した。地域別内訳は、「日本」が255億8600万円と全体の53.2%、「欧米」が195億8900万円で全体の40.8%、「アジア・オセアニア」が28億9000万円で同6.0%。
経済危機の影響でネットワーク機器は減少。しかし、新製品群のコア・スイッチx908が大きく伸長。この信頼性の高いコア・スイッチを提供したことで機器だけでなくネットワークシステムとしての受注も増加。その代表例として、米国エドワーズ空軍基地に導入が決まったことが挙げられる。
エドワーズ空軍基地に納入が決まったのは「フライト・シュミレーション用ネットワーク」。映画トップガンでも知られる超一流パイロットを養成するシュミレーション。通常は米軍から発表されることはなく、今度の発表は異例という。それだけ技術が優秀であったためと評価され、全世界へのアナウンス効果は非常に大きかった。
こうしたネットワークシステムの伸長で前期の売上総利益率は前々期比3.6ポイントアップし49.2%に向上した。この結果、営業利益は2.1倍の30億6300万円と大きく増加した。
■2、3年後の収穫を目指して今はタネ撒きに全力で取り組む
今後の展開について、同社の大嶋章禎会長は次のように語る。「世界景気が停滞している間に当社はタネ撒きをやります。特に、これまで製品販売を中心にやってきましたが、これからはソリューション販売に力を入れて行きます。製品を販売するのと、ソリューションを提供するのでは営業のやり方が違います。不況の今こそ、物を売る会社からサポートを売る商売に変えて行くチャンスです。IBMがメーカーからコンサルト会社となったように。当然、当社の先行き利益率は上がります」。タネ撒きの収穫はいつ頃でしょうか。「景気は必ず戻って来ます。アメリカが一番早いと思います。2,3年後には収穫できるように、今は、タネ撒きで世界中を走り回っています。今、私の頭の中にあることは現在の売上450〜500億円を1000億円に持って行くことです。そのためのタネ撒きの最中だと思ってください」ということだ。
大嶋章禎(おおしま・たかよし)会長は、同社の創業者。18歳まで日本で過ごし、渡米してアメリカ国籍を取得。カリフォルニア大学で原子物理学を学び、ITTへ入社し情報産業との出会いが始まった。外国投資家の持株比率が大きいのは大嶋会長がアメリカ国籍のためで、外国投資家の売りは心配ない。
09年12月期は売上435億5000万円(9.4%減)、営業利益9億円(70.2%減)と伸長予想。紹介の通りタネ撒きということで捉えれば心配ない。先行きを展望すれば株価50円程度は割安顕著。今は機関投資家などが様子を見ている段階。タネ撒きを終え、収穫期が近づけば株価は大きく居所を変えているはずだ。中長期での投資を勧めたい。
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在宅介護事業を主力として全国展開する



半導体製造の活況を背景に業績好調が続く

東京証券取引所に出資証券を上場している
同社はカナダのトロントに本社を置くTSIグループの一員で日本法人。TSIはカナダにおける「ランドバンキング投資」を主力事業として、総合建設業、資産管理、不動産管理を手がける。このうち、「日本での業務は不動産投資商品を専門に機関投資家、個人投資家、資産管財人などに、安全で収益性の高いランド・バンキングの機会を提供しています」というスティーブン・ハギンズ(Stephen Huggins)社長にカナダの経済及びカナダの不動産投資について聞いた。
今回は筆者の単独会社訪問ではなく、アナリスト等の決算発表会の席上に参加したもの。


――御社は、以前より予想数字は発表されませんが、このほど今3月期の9月中間期の連結業績見通しを明らかにされましたが、この点についてお願いします。
昭和39年に「うかい鳥山」を東京の奥高尾へオープンして以来43年、もてなしの心と文化を大切に、和洋レストランを展開する

言うまでもなく、今やコンピューターの時代である。当然、日々の業務のほとんどはパソコン(PC)で行われ、その証拠はPCに残ることになる。このPCに残ったデータや情報を訴訟等の際に証拠として提供できる日本で唯一の企業が

文化服装学園(アパレルデザイナー専攻)在学中(20歳)よりデザインコーディネーターとして、新しいものを作れば売れるということで、生地屋が資金元となって仕事が拡大していった。













































